夕張・千歳紀行6 札沼線

 7月30日日曜日は樺戸(カバト)郡新十津川村の新十津川駅からJR札沼(サッショウ)線に乗りました。

 札沼線函館本線桑園(ソウエン)駅より北上し、函館本線にほぼ並行して石狩川右岸を通っている鉄道です。

 昭和6(1931)年10月に留萌(ルモイ)本線の石狩沼田から南下し、中徳富(ナカトップ)までを結ぶ札沼北線34.9kmが開業したのが始まりで、昭和9(1934)年10月に中徳富浦臼間13.8kmが延伸開業しました。

 一方、同年11月に桑園―石狩当別間25.9kmの札沼南線が開業、昭和10(1935)年10月に石狩当別浦臼間36.8kmが延伸開業し、桑園―石狩沼田間111.4kmが全通したのです。形式的起点駅は桑園でしたが、列車は全て桑園の一駅東の札幌から直通する運行形態でした。

 しかし、大東亜戦争中の昭和18(1943)年10月、石狩月形―石狩追分間45.9kmが不要不急線に指定されて営業休止に追い込まれ、昭和19(1944)年7月には石狩当別石狩月形間20.4kmと石狩追分ー石狩沼田間19.2kmも不要不急線に追加指定されて営業休止となってしまいました。

 戦後の昭和21(1946)年12月になって石狩当別浦臼間36.8kmが営業再開し、昭和28(1953)年11月には浦臼―雨竜(ウリュウ)間26.1kmも営業を再開していますが、その際、中徳富駅が新十津川駅に改称されています。

 そして、昭和31(1956)年11月に至って雨竜―石狩沼田間22.6kmが営業再開し、漸く全線が復活したのです。昭和32(1957)年6月には客車運行を廃止し、旅客車輌は全て気動車化されました。

 ところが、昭和40年代に入るとモータリゼーションの波で北半部の赤字が深刻となり、昭和47(1972)年6月に新十津川―石狩沼田間34.9kmが廃止されて盲腸線となってしまいました。但し、線名は札沼線のまま変更されませんでした。昭和54(1979)年には貨物営業も廃止されています。

 部分廃止後、残された区間も利用は伸び悩み、当別町の東日本学園大学(現;北海道医療大学)の学生需要によって辛うじて支えられている状況でした。

 ところが、昭和60年代に入ると、札幌ニュータウンあいの里」等の札幌市北部での住宅開発が進展したため、昭和62(1987)年4月のJR北海道発足に際して輸送強化がなされ、以来利用客数は飛躍的に伸びました。それに伴って桑園駅あいの里公園間を中心に新駅が多数設置され、昭和42(1967)年に四駅だった同区間の駅数は、平成元(1989)年には十駅となり、駅間距離は東京の山手線の平均的な駅間距離に相当する1.3〜2.2kmとなったのです。

 沿線に大学が多いため、平成3(1991)年から学園都市線の愛称で呼ばれています。札幌近郊区間では複線化・高架化も進展し、平成6(1994)年11月には函館本線の札幌―桑園間に札沼線用の単線を増設、同区間三線化された事で列車本数も大幅に増発されました。

 一方、北海道医療大学前以北の区間では旅客数の減少が続き、平成8(1996)年には石狩当別新十津川間でワンマン運転が開始されています。

 平成20(2008)年には桑園―北海道医療大学間にIC乗車券「Kitaca」が導入され、平成24(2012)年6月には桑園ー北海道医療大学駅間が交流電化、同年10月には新千歳空港直通の快速〔エアポート〕の運行も始まったのです。

 しかし、北海道医療大学前以北の区間の状況は益々厳しくなり、平成28(2016)年3月には従来一日二往復あった浦臼新十津川間の列車が一日一往復のみの運行となってしまいました。

 そして同年10月にはJR北海道が沿線の浦臼町新十津川町に対してバス転換を提案し続けている事も明らかになって、数年以内の廃止が確実な情勢となってしまったのです。

 新十津川駅は当然無人駅です。

 新十津川町民は、3kmしか離れておらず列車本数も多い滝川駅を利用しますから、札沼線が廃止されても特に不便はありません。

 つまり、廃止は避け難いって事です…。

 北海道医療大学駅以北を全て廃止するか、浦臼辺りまでは残すかだけが焦点のようです。

 新十津川駅発の列車は0940時発の5426D列車一本のみですから、「全国一終列車が早い駅」として有名になってしまいました。

 新十津川駅前の店では各種の鉄道グッズが売られています。

 硬券入場券です。

 新十津川駅入場券再販記念証です。

 今年、JR北海道が売りに出している「ご当地入場券」です。

 新十津川駅到着記念証明書です。

 来駅証明書です。

 こちらはクリアファイルです。

 

 5426D列車は完全に鉄ヲタ専用列車になっていました。ww

 車輛はキハ40の単行運転です。新十津川駅ホームは鉄ヲタで溢れ返って身動きも出来ない状態でした。

 列車は定刻の0940時に発車しました。普段は地元の幼稚園児達が見送りをしてくれるそうですが、この日は日曜日ですので、それはありませんでした。

 車内は満員でしたが、何とか座る事が出来ました。

 南下徳富(ミナミシモトップ)駅です。

 途中の石狩月形駅で乗客の半分以上が下車したので驚きました。どうもツアー客だったようです。日曜日ですしね。

 5426D列車は石狩当別まで行くんですが、私は一つ手前の北海道医療大学で1058時に下車しました。接続する2558M電車はこの駅始発なのです。

 5426D列車の乗客の大半は石狩当別まで乗って行きました。

 「接続する」2558M電車は1129時発なので30分以上も間があります。わざと接続を悪くして住民に乗る気を無くさせ、「利用者が少ないから」との理由で廃線に持ち込むのが鉄道会社の常套手段ですわね。

 2558M電車は快速〔エアポート〕用の721系6両編成です。4号車の「uシート」には「指定席」の札が出たままになっていましたが、「全車自由席です」との車内放送が流れていました。

 私は最後尾の1号車に乗りました。この編成は全車クロスシートなのです。

 発車まで暇そうにしていた車掌さんに夕張までの乗車券を作って貰いました。札幌と千歳で途中下車する形になります。私が石狩当別まで乗らず、この駅で降りたのは、この切符を作って貰うためだったのです。車掌が暇にしてるのは予想出来ましたし、札沼線車内作成の切符の方が値打ちが出そうですからね。

 2558M電車は定刻通り発車、最初はガラガラだった車内がドンドン混み合って来て、1215時の札幌到着時には立ち客も出ていました。

《続く》